2008年07月29日
麻原氏の体験 (3) クンダリーニ覚醒とエクスタシー
麻原氏の「生死を超える」という著書から、氏の興味深い体験の部分を抜粋しました。
クンダリニー覚醒後、さらに修行を続けると“悦”の段階に至る。これは、クンダリニーが上昇してものすごいエクスタシーをもたらす状態である。
例えばムドラーを行じているとき、クンダリニーが突然上昇してわたしは“悦”に入った。何気なく立っているときや、歩いているときにもそれは起こった。それが起こるときには、必ずムーラ・バンダ(肛門の締めつけ)と性器の締めつけが自動的に始まり、体を震わせながらクンダリニーが駆け昇る。その感覚たるや、この世で味わうことのできる、最高のエクスタシーだといえるのではないかと思う。どう表現したらいいだろうか。とても優しく柔らかく、溶けてしまいそうな感じである。“悦”に入っている間、その快感は強まることはあっても決して弱まらない。しびれも伴って、それがまた気持ちいい。そして、数分間その快感に浸っていることができるのである。
最近はわたしも瞑想時間を長く取っている。だから瞑想によって何時間もこの状態を持続させることができるようになった。
◎明子の一言
クンダリーニの覚醒、そして瞑想によるエクスタシー、何か未知の世界です。でも、オウムの人たちは、そういう体験をする方が多いみたいです。。
クンダリニー覚醒後、さらに修行を続けると“悦”の段階に至る。これは、クンダリニーが上昇してものすごいエクスタシーをもたらす状態である。
例えばムドラーを行じているとき、クンダリニーが突然上昇してわたしは“悦”に入った。何気なく立っているときや、歩いているときにもそれは起こった。それが起こるときには、必ずムーラ・バンダ(肛門の締めつけ)と性器の締めつけが自動的に始まり、体を震わせながらクンダリニーが駆け昇る。その感覚たるや、この世で味わうことのできる、最高のエクスタシーだといえるのではないかと思う。どう表現したらいいだろうか。とても優しく柔らかく、溶けてしまいそうな感じである。“悦”に入っている間、その快感は強まることはあっても決して弱まらない。しびれも伴って、それがまた気持ちいい。そして、数分間その快感に浸っていることができるのである。
最近はわたしも瞑想時間を長く取っている。だから瞑想によって何時間もこの状態を持続させることができるようになった。
◎明子の一言
クンダリーニの覚醒、そして瞑想によるエクスタシー、何か未知の世界です。でも、オウムの人たちは、そういう体験をする方が多いみたいです。。
Posted by 明子 at 00:51│Comments(0)
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